1995年1月17日 午前5時46分。
兵庫県南東部を中心として関西のみならず中国・四国・東海に渡る広い地域にわたり影響を及ぼした阪神・淡路大震災から24年の朝を迎えました。

三連休を終えて、リフレッシュしたのちの週の初めに起こった大震災。
誰もが経験をしたことがない未曾有の出来事でした。
当然、これまで普通にできたことが全くできず、街自体が機能しなくなりました。

当時のKSLにはライフラインに携わるプレイヤーやスタッフも多くいました。
彼らは必死の思いで復旧作業に携わりました。復興ではなく復旧です。

小雪のちらつく午後、いよいよ阪神間を離れる決意をした者もいました。
街灯のない国道を灯りが見える大阪へ向かい一心に車を走らせる者。
逆に、その地でしっかりと根を張って必死に堪える者。
それぞれが「生きる」ことに必死になる決意をした一日でした。

ボールを蹴ることに対する歓び、また、試合を開催できることに対する感謝の意。
今も、KSLに携わる全ての者が忘れてはならないことです。

今や、KSLプレイヤーの殆どが震災の記憶を持たない者に世代が変わりつつあります。
しかし、経験した者全てがこの記憶をしっかりと語り継ぐ義務を持っているのだと思います。

その後も東日本大震災や熊本地震、西日本豪雨など大きな災害を経験したこの国にあって、
阪神・淡路大震災の記憶は絶対風化させてはならない。我々はそう感じています。

はや24年が経過しましたが、当時の経験を忘れることなく、我々は4月に開幕を迎えます。
フットボールが普通にできる幸せを胸に、これからもKSLは地域のみなさまとともに活動してまいります。

2019年1月17日
関西サッカーリーグ